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習得と後の先、対の先、先の先

[ 19:42 ] [ 雑感 ] 体術(習得1)は後の先 剣術(習得2)は対の先 居合(習得3)は先の先 では?

体術から視覚と聴覚へ

体術は、剣術(習得2)と居合(習得3)でも表現可能。 剣術は、居合(習得3)でも表現可能。 居合は、体術(習得1)または剣術(習得2)では表現不可。 体術は、習得1~3(体術、剣術、居合)にて表現できる。 となると、 体術は触覚が媒体なので、 視覚と聴覚の△○□と、触覚の△○□の相関を確認できる。 体術があるおかげで、視覚と聴覚の△○□に拡張できる。

合気とは

このブログの中での言葉の定義を明確にしておく。 合気道で 一般的に使われている 「合気」=「ある対象と一体化する技術」 「呼吸力」=「合気」の状態で発生する力。 としておく *定義はこのページだけでの話としてご了承下さい。 「ある対象」としてあるのは・・・ 合気道の範囲だけでいえば、「ある対象」は相手(人)のみになる しかし、この「合気」の技術は体術だけのものではなく、 対象が 木刀・バット・ラケット・包丁・語り と変わっても人を投げるのと同様の原理で、 一体化でき、余分な筋肉を使用することなく、 無理のない自然の理で その対象と一体化し、自由に操作する事ができると考えているからである 合気道の開祖である植芝盛平翁が述べられた 「私は宇宙と一体となっている」は、 この世に宇宙より大きな対象はないので、 究極の「合気」といえる。 これが本当にできることか分からないが、このように定義すると最終到着地は決まってくる。 「技術」としてあるのは・・・ 「合気」というのは特定の人だけができる不思議な力ではなく、 ちゃんとした方法で練習をしていけば 必ず誰でも身に付くものと考えているからである その技術を効率よく習得するには どうすればよいのか追求することが大きな目的の一つである 「一体化」としてあるのは・・・ 合気道の達人レベルの方の技を見たことのある方は知っている と思いますが、 その達人の体を何人かで持ち上げようとしてもあげられません 不思議な印象を受けますが、 これはその達人がその持ち上げようとしている人と 一つの体になったと考えると理解しやすいと思います。 自分の体で考えると 自分の腕で自分の体を持ち上げることのできる人はいるでしょうか? 当然ながら、どんなに腕力を鍛えても不可能です それと同様に何人で持ち上げても、 一体化できれば持ち上がりません。 この一体化というものがあることが一番の驚きであり、今もそれを追求しつづけています。

体術・剣術・居合と習得

体術、剣術、居合はそれぞれ使える方法(習得1〜3)が異なる。 体術 習得1(剛)・2(柔)・3(流) 剣術 習得2(後の先)・3(先の先) 居合 習得3(先の先) 優先順位は、 相手が遠い(非接触)場合、習得3>2>1 相手が近い(接触)場合、習得1>2>3 体術では、習得1よりも習得2のほうが柔らかくなる。 体術で「流」を行うには、習得3。接触前に□にする。 体術(習得1)でも受け方の工夫で、弱い接触で結ぶ、十に切る、何度か結び直すなどの方法で、 「剛」から「柔」に近くすることは可能だが、体術(習得2)では柔以外に選択肢がない。 逆にみると、 体術を柔に昇華させるには、剣術(習得2)を知らなければできないといえる。 これは、 体術のみ、剣術のみ、居合のみでは、本来得るべき技術に到達できないことも説明している。 体術・剣術・居合は全て通して稽古する必要がある。