投稿

2021の投稿を表示しています

剛での△○□の説明動画

イメージ
  剛での△○□の説明動画 剛 身体操作 貼って抜いて引っ掛けて△○□をつくり技をかけています。 座技呼吸法 腕を上から抑えられたとき 片手両手取り 後ろで抑えられたとき 横の状態 両肩を抑えられたとき

新しいHP

イメージ
新しいホームページを作成しました。 ホームページ: https://www.rinshin.club/

型の深さ

現在、技(方法)として剛 身体操作>意識操作 柔 身体操作>意識操作 流 身体操作>意識操作 の6通りに分類している。 1つの型をこの6通りの技で解釈し稽古を行う事ができる。 同じ型であっても少なくとも6通りの面が現れてくる。 その時気づくことは、 例えば、 剛の身体意識で意味を感じなかった形であっても、 柔の意識操作で形に意味を持つことがある。 おそらく型を作った先人の技の種類に応じて作られているためと考えられる。

△○□の知覚を優先する稽古

 △○□の循環が重要。 効率よい稽古のために、 まず「△○□の知覚を優先する稽古」が重要。 △○□の知覚ができていれば、 ・自分の実力や相手の実力を測ること。 ・試す方法(例えば剛・柔・流)の自己評価・取捨選択ができる。 そうすると、稽古の効果・効率を上げ続けることができる。 △○□の知覚を優先する稽古とは、 方法の良し悪しを問う稽古ではなく、 △○□の感覚を味わう回数を増やすことが重要。 味わう回数を増やすと△○□の知覚を体得するのが早くなる。 型であれば、推手など良い。

中心線と剛柔流

剛は、中心線を越すことができる。 柔は、中心線は越さない。 流は、中心線と無関係。

返し技の違い

返し技でも、身体操作と意識操作による違いがある。 身体操作の場合、 返し技も身体操作で始まるため、身体を動かす必要がある。 意識操作の場合、 意識配置を自然体になるように移動させる。 その移動中、相手の自然体を相対的に超えたとき、返し技が自動で起こる。

受けのレベル

  型稽古において、 受け(投げられる側)は捕りより不自然体に微調整できることが必要。 捕りの自然体が向上してきたら、 それより少し不自然体に調整し、技がかかるかかからないかギリギリの課題を与える。 受けは本気でやられていてはいけない。 受けの目的は捕りの上達である。 よって、捕りの自然体より自然体ができていること、かつ、自然体を微調整できる技量が求められる。 そうしないと捕りは技が向上しているかどうかわからなくなる。 自然体の微調整は、 剛の場合、 意識を臍下丹田より上(胸、肩など)に配置し、捕りの自然体を超えないようにする。 捕りが上手くなってきたら、受けは少しずつ意識を臍下丹田に近づけ、より難しい課題を与える。

剛の方法(意識)

剛の場合、身体操作と意識操作で身体を動かす順番が逆となる。 身体操作の場合、 なるべく相手との接点から遠い箇所から動かす。 例えば、 接点は置いておいて、足元から波打つように遠い箇所から。 先に重心から動く。 身体操作では、守破離の守の段階 型に近づくようにするが、 技が形に依存しているため、形は型の通りにならない。 意識操作の場合、 接点から動かし、身体の重心は最後に動かす。 意識操作は、守破離の離の段階 技が形に依存しない(自由である)ため、型に関係なく自在。 よって、型の形通りにできる。 型から離れるとき、型の通りできるようになる。

受けの抵抗法

型稽古では受けの取り方がとても重要。 受けの抵抗方法には良し悪しがある。 捕りが型の形ができるようになっていれば、 捕りに対し受けは抵抗し結び(△○□)の知覚化を促す。 そのとき、受けは意味のある抵抗をするようにする必要がある。 意味のない抵抗は、 ・捕りの力を逸らす ・縁を切って止める この抵抗の仕方では、捕りに別の選択肢を与えるので実戦に使えない。 受けは、相手の技を常に返せるように抵抗する。 そのためには常に捕りの自然体から少しだけ不自然体にしておく。 技がかかる(□)というのは、捕りが受けに対して相対的に自然体であることが必要条件となる。

あべこべの世界

稽古が進むにつれ、明確に意識(氣?)の配置で自分の周りの状況が変化することに気づきつつある。 以前からの整理 現実は実の現れであるので虚 知覚できない無から有が産まれている。 技をかけるときは無である心技から有である身体、形が生成される(武産)。 心>技>体>心>技>体>・・・・ 実際に操作するのは意識。 現実に現れるまえのものを扱っている。 結果は現実であり、すでに起こってしまったものでいじれない。 しかし、通常は実の結果である現実を揺るぎないものと考えている。 起きているとき夢を見ており、寝ているとき起きている。 この現実世界が実はシュミレーションなのではというのも正しいのでは? 人がコンピュータを利用してシュミレーションしているように、 この現実は意識を持ってシュミレーションされた世界を映しているのでは? これは量子論のスリット実験とも整合とれてくる。

強く握っているのは「△」?

よく間違うことは、 相手が強く握っていることを「△」と判断すること。 圧があるので「△」(対立・認識)と判断してしまう。 剛の「△」は 圧と方向の2つが必要 圧があり、かつ全体として方向があるときに剛の「△」として使える 圧だけでは、剛の「△」としては使えない。 この圧の方向と同じ方向に○□を発生させる必要がある。 さらに理解が進むと、 圧に加えて、相手の意識が含まれているかどうかで判断できるようになる。 その方が正確かつ繊細になっていく。 最初、相手(自分・物)を五感(剛は触覚)で捉えることから始め、 次に、意識のやり取りに移行していく。

身体操作から意識操作へ

  剛・柔・流の各段階は身体操作から意識操作へ移行できる。 剛 身体:水平垂直移動 意識:臍下丹田を意識 身体の動きは適当 柔 身体:目線を前、腕上下、半身切り替え 意識:目線上の外の意識配置  身体の動きは適当 流 身体:等速動作 身体を静止 意識 耳の周囲に意識配置  身体の動きは適当

反応の違い

受けが技をかかっている様子(反応)で 捕りが剛・柔・流のどれで技をかけているか見分ける事ができる。 それぞれの反応、体術の場合、 剛:接触点から締まっていく。相手の身体全体にGがかかる。間の詰まり。 柔:すり抜けるように相手の力がずれていく。文字の通り柔らかい。中心線を軸に歪む。 流:相手の身体の芯から一気に崩れる。相手からすると急に来たように見え、時間的に間に合わない。 これらの区別がつくと、形を観ることだけでも、 どのように技(手順、△○□の発生方法)を起こしているのか、 ある程度見分けることができる。

静止

逐次相手に依存していないことが重要 型の途中、常に静止できているかどうか確認する。 相手が急にいなくなってもその場に静止していられるか? 静止していれば□ 反動で動いてしまうときは△ 武器を扱うときも同様。 剣を振っている途中でも常に静止していること 反動で振っていると急には止められない。 半身の動きで剣を操作し、剣を振らないこと。 そうすると、瞬時に止められ、相手の変化(△○□)に応じる事ができる。

振動数(波長)

世の中のもの(物質、光、電磁波)にはすべて振動数(波長)があり、 それぞれ近い振動数(同じ桁)のもの同士が関係を持つこと(接触・干渉・共鳴)ができる。 物を触るという行為は、 物質は身体と近い振動数をもつから干渉を起こし触感という結果を起こす。 物を見るという行為は、 視神経にとって見える波長域に入っているので視るという結果を起こす。 たまたまその波長(振動数)の中にあるもの、 その五感にとって感じとるものを在るとしている。 五感にとって感じとれないものは無いとしている。 剛・柔・流は振動数を変える行為ではないか? 剛・柔・流の順に徐々に身体の振動数から離れているともいえる。 とすれば、 人は意識することで振動数を変えられ、その振動数に関わることができる。

意識、振動数、剛・柔・流

人には自由意識を持っており、意識の振動数を能動的に変える事ができる。 他の動物ではできない。 物理では振動数が大きいほどエネルギーが高い(E=hν) 剛、柔、流の意識の状態と振動数の大小に相関があるのでは? 剛:振動数 低い 柔:振動数 中くらい 流:振動数 高い

剛の方法2、螺旋をつくる

  剛の方法は3種類ある 1.身体全体を水平垂直に動かす 2.螺旋をつくっていく。 3.臍下丹田に意識を配置したまま、接点から動かす。 2を詳しく 剛でも螺旋状に□を作ることができる。 手順は、 1.相手の意識よりも弱く意識を当てる 2.接点に□が発生する。 3. 壊れないうちにすぐに十に結んでいく 4.繰り返して螺旋状に結んでいく。 剛の□が発生する条件は、相手より自然体の状態で相手に触れること。 この場合の□は接触圧が小さいので壊れやすい これも1つの方法としてとても有効。 この方法を剛の方法3の臍下丹田に配置したままと組み合わせるとより安定する よって、剛の方法2と3は1つにできる。

間の使い分け

方法(剛・柔・流)により、変化させる間が異なってくる。 それぞれの間の違いは、 剛 距離 柔 歪 流 時間 これら間のどれに依存しているかは人によって異なる。 技をかける対象がどの間に興味・依存(△)しているのか判断する必要がある。 五感の戻り値(フィードバック)である 剛(触覚)・柔(視覚)・流(聴覚)の△○□を感知し、 それに応じて使い分ける必要がある。

剛は相対

3元(△○□)について、 「△」と「○」は、相手と共有できる。 「□」は、かけた側とかけられた側ができる。 □は自然体と非自然体の差でできる(相対的) 自然体の差とは、意識配置の差で説明できる。 剛で説明すると、 □ができるとき、身体内部の意識配置に差がある。 例えば、かかり稽古でAとBの二人で稽古する。 AとBが接触したときの意識配置が、 1. A:肩に意識 B:胸の下に意識 のとき、 意識配置を比べて臍下丹田に近い側が技がかかる(□をつくる)ので、Bが□をつくる。 2. A:肩に意識 B:肩に意識 のとき、同じ配置なので、△となる。 稽古のとき、 自分と同等の相手だと□を起こすのは難しい。 その場合、相手にわざと力を入れてもらい自然体から離れることで□を作れるようにすると効率の良い稽古となる。 剛の場合、意識配置を比べて、臍下丹田に近いほうが□をつくる。

剛の方法

  剛の方法は主に3通り。 1.身体全体を水平垂直に動かす 接点に対し、貼って抜いて引っ掛けてで△○□をつくる。 2.螺旋をつくっていく。 意識を弱く相手の意識に接すると□が発生する。 その□が壊れないうちにすぐに十に結び螺旋状に□をつくってつなげていく。 3.臍下丹田に意識を配置したまま、接点から動かす。 接点にわざと意識をあてる(△) 接点から自分の意識を離し臍下丹田に意識を置く。(□) そのまま身体を動かし、□を繰り返し発生させ続ける。 3つ目ができたとき、剛柔流がすべて意識化され、意識配置のみで切り替えできる。

技の伝授

型稽古の中で 型のお題通りの△○□が表現されてなければ、受けから捕りへ技は伝授されない。 型をトレースするだけでなく、その型の中で△○□を表現できる技量が必要。 伝授されるのは型でなく、技(剛柔流)と体(△○□)である。 伝授するとは、手から手へ伝えていくもの。一度渡されればその人から一生消えることはない。 型は受けのもつ△○□の質(結果)と発生方法(技)を捕りにわざと見せるように設定されているもので 型は「お題」にすぎない。 よって、伝授が終われば型としての役割を終え、型を忘れても問題ない。

時間軸

  結果は △○□のあとに形(体)が起こる 剛・柔・流は時間軸でみると、 剛 後の先 過去 形の後で 柔 対の先 現在 形と同時に 流 先の先 未来 形の前に となる。 交通事故で例えると、 剛 車と接触してから 柔 車が向かってきたとき 流 車と遭遇する前 となる。

剛・柔・流の習得順

  剛・柔・流の順について、 それぞれ習得していく順番は特にない。 それらの次元(媒体)が異なるため、お互いに干渉しないため。 剛と柔はどちらも空間の間を変化させるため同時に重複させることはできない。 瞬時に切り替えることは可能。 流は時間の間を変化させるので、 空間と時間で次元が異なるので干渉しない。 よって、 剛と流 柔と流 は同時に重複させることが可能。 理解しやすい順番は、 剛>柔>流 となる。 媒体が、 触覚>視覚>聴覚 の順は知覚しやすい。 また、相手が近づいてくる順は 聴覚>視覚>触覚 より、触覚が最後の砦となるので、 触覚をまず鍛え、技を確実にかけられるようにし、 徐々に柔と流に拡張させていくと技が止まらず稽古が進みやすい。 人によっては、 触覚よりも視覚や聴覚が発達している(主体となっている)ことがある。 先に発達している感覚は、他の感覚の切り口になる。

表:心技体

  心技体を表で書くと、下表のようになる。 技がかかるときは、 技がかかる螺旋:心→技→体→心→技→体→心→技→体・・・ 逆流すると、 技のかからない螺旋:体→技→心→体→技→心→体→技→心・・・ 技がかかるかどうかの違いは、この流れの向きのみによることが面白い。 心・技・体のそれぞれが重要でなく、 心・技・体の順番に意味がある。 心技体 因果 意識 無から有   虚実 稽古 PDCA 時間軸 心 原因 意識 無 真実 実 型、お題 P(←A) 未来 技 方法 配置       剛・柔・流 D 現在 体 結果 認知 感情 有 事実 ≠真実 虚(現実) △○□ 形 C 過去

型の解き方

  型には習得すべき意図(お題)がこめられている。 その意図を汲み取るには型の中で技をかける必要がある。 型の形が崩れてしまうとその意図通りのお題を乗り越えられず上達しない。 ただ問題なのは、型が優れていても自分の上達度までしか型のお題を読み取ることはできない。(良い師を自分で見出すことができないことと同じ) そのため通常の稽古では、すでにその型を乗り越えた相手に受けをとってもらい、そのお題が乗り越えられるように導いてもらう必要がある。 実践に近い乱取り組手でなく、手順の決められている型稽古である必要性がここにある。 型には、乱取りの中ではとても思いつくことのできないお題(△○□の発生方法)が隠れている。 そこで型の意図はなにかを探っていくことになる。(技を盗む) △○□があると、その型の意図を見出すのにとても役に立つ。 △○□を使った型への取り組み方法 体術の場合、 1.剛で型の形をなぞっていく 剛では型の形の通りに行うことは不可能。 限りなく型に近づけて、 最終的には、△○□の発生を身体の動きから臍下丹田の意識に置き換える。 2.柔で型の形通りに△○□を発生させる。 柔の場合、型=形のときに△○□が発生できるようになっている。 柔では、厳密に型の形になったときに△○□が発生する。 剛のときとは逆。 逆に型のとおりにしたとき、柔で△○□が成立するならば、 この型は柔(武器術)が由来とわかる。 3.流では型の中に組み込んでいく。 流は形によらないので自由に型に組み込める。 型の形に合わせて流を組み込めるかどうか、 型に合わせて自在に組み込めるならば上達している。 型の形通りにできるようにすることが、流の習熟度になる。 その型の形から離れているので(守破離の離)型の形通りにできる。

隙の最小化

  剛・柔・流をバランスよく使うと、隙を最小化することができるのでは? 理由を考える。 剛・柔・流はそれぞれ 剛 後の先 柔 対の先 流 先の先 と対応する。 ここで、 第一文字の「後」・「対」・「先」は時間を指す 第三文字の「先」は三元の「□」をつくり、一体化する(技をかける)ことを指す と解釈すると、 第一文字の時間は、 「後」 過去  「対」 現在 「先」 未来 と対応する。 よって、剛・柔・流がそろっているとその時間軸に合わせることができ、隙が最小となる。 ただ、意識は1箇所にしか置けないため、一瞬一瞬は剛・柔・流のどれかのみとなる。

評価方法

  結果は「心技体」の「体」であり結実した「有」 「有」は感覚で捉えられるものであり客観的に認識できるもの。 「心」→「技」を経て結果である「体」となる 結果は、下記2段で評価している。 1.△○□ 2.かけた形と型の差 下記順で検証する。 1.△○□をどのように発生させたか 2.かけた形と型との差異をみて型の主旨としているお題をこなせたのか 3.この型を実現するさらに上の方法があるのか。

剛・柔・流の時間軸

剛・柔・流によって技を施す時間軸が異なる 目に見える視覚を基準とすると、 剛:相手が来て接触してから 後の先 柔:相手が来た瞬間の非接触の時点で 対の先 流:相手が来る前、非接触の時点で 先の先

実践と型稽古の違い

実践と型稽古は明確に異なる。 型稽古は実践ではない。 実践では、 △○□を剛・柔・流のいずれかで作れていれば、技はかかっているので良し。 実践に形の評価は必要ない。 しかし、型稽古では、△○□と形=型の両立を求められる。 型稽古がうまくできていない状態は主に下記2通りある。 1.△○□ができていても、形≠型であれば型のお題を消化できていない。 理由は、 型はお題ごとに難易度が設定されており、 その難易度を超えているかどうかでその成熟度を測り、 次の課題にいけるかどうかを設定してあるため。 形を大きく崩して△○□ができたとしても、型のお題を消化できていないので上達しない。 2.形=型ができていても、△○□がないなら技がかかっていない。 理由は、 技(剛・柔・流)が抜けている。 技をかけるというのは、心技体(原因>方法>結果)の流れが必須。 以上。 また、 型稽古を実践のようにするとどうなるのか? 形が崩れるので、型で設定してあるお題を消化できず上達しなくなる。 よって、 型稽古を実践のようにする意味がないことがわかる。 型稽古は実践ではない。 △○□を実践で使えるように少しずつ導いていき、 お題を消化していくことで上達するようにできている。 逆に実践のような型もある。 それは怪我しない範囲で形を崩せる型となっている。 例えば、中国拳法の推手 これは、安全に △○□を剛・柔・流のいずれかで作れるかを確認できる。 どこまで稽古が進められているのかを確認できる良い方法。

原理を定義する

原理とは、 全ての現象に内在しているもの 合気道の基本原理は、 「一霊四魂三元八力」 であり、これは人の存在意義と働きの指針の両方を与えている。 「△○□」は「三元」にあたり、働きによって起こる唯一の変化を説明している。

評価に△○□がない場合

  剛・柔・流 の五感の媒体は、 剛:触覚 柔:視覚 流:聴覚 評価に△○□がない場合は下記のように型を設定されている。 剛を型で習得させるためには、 型として身体に負荷のかかる形を設定する。 例えば、太極拳、沖縄空手の型がわかりやすい。 その負荷をかける型を楽にこなせるとき、意識に臍下丹田が芽生えている。 腰を落として素振り千回ふるのも同様の効果。 柔は視覚を媒体とするので、形=型となるように稽古する。 例えば、武器術の組稽古 流を型で習得させるには、 触覚と視覚の制限を型に設定する。 例えば、 居合では、 人を前に立たせない(視覚を抑える)、同じことの繰り返し(触覚一定) により、聴覚に誘導している。 座禅では、 親指の一点(触覚の固定)、視点をろうそくの一点(視覚の固定) により、聴覚に誘導している。 このように型稽古は、 形だけでも結果の評価していくことでもできるようになっている優れた方法である。 さらに、結果の評価に△○□を加えることで、 型稽古の型数と工数を削減させ、精度・抽象度が向上する。