投稿

1月, 2021の投稿を表示しています

剛・柔・流の習得順

  剛・柔・流の順について、 それぞれ習得していく順番は特にない。 それらの次元(媒体)が異なるため、お互いに干渉しないため。 剛と柔はどちらも空間の間を変化させるため同時に重複させることはできない。 瞬時に切り替えることは可能。 流は時間の間を変化させるので、 空間と時間で次元が異なるので干渉しない。 よって、 剛と流 柔と流 は同時に重複させることが可能。 理解しやすい順番は、 剛>柔>流 となる。 媒体が、 触覚>視覚>聴覚 の順は知覚しやすい。 また、相手が近づいてくる順は 聴覚>視覚>触覚 より、触覚が最後の砦となるので、 触覚をまず鍛え、技を確実にかけられるようにし、 徐々に柔と流に拡張させていくと技が止まらず稽古が進みやすい。 人によっては、 触覚よりも視覚や聴覚が発達している(主体となっている)ことがある。 先に発達している感覚は、他の感覚の切り口になる。

表:心技体

  心技体を表で書くと、下表のようになる。 技がかかるときは、 技がかかる螺旋:心→技→体→心→技→体→心→技→体・・・ 逆流すると、 技のかからない螺旋:体→技→心→体→技→心→体→技→心・・・ 技がかかるかどうかの違いは、この流れの向きのみによることが面白い。 心・技・体のそれぞれが重要でなく、 心・技・体の順番に意味がある。 心技体 因果 意識 無から有   虚実 稽古 PDCA 時間軸 心 原因 意識 無 真実 実 型、お題 P(←A) 未来 技 方法 配置       剛・柔・流 D 現在 体 結果 認知 感情 有 事実 ≠真実 虚(現実) △○□ 形 C 過去

型の解き方

  型には習得すべき意図(お題)がこめられている。 その意図を汲み取るには型の中で技をかける必要がある。 型の形が崩れてしまうとその意図通りのお題を乗り越えられず上達しない。 ただ問題なのは、型が優れていても自分の上達度までしか型のお題を読み取ることはできない。(良い師を自分で見出すことができないことと同じ) そのため通常の稽古では、すでにその型を乗り越えた相手に受けをとってもらい、そのお題が乗り越えられるように導いてもらう必要がある。 実践に近い乱取り組手でなく、手順の決められている型稽古である必要性がここにある。 型には、乱取りの中ではとても思いつくことのできないお題(△○□の発生方法)が隠れている。 そこで型の意図はなにかを探っていくことになる。(技を盗む) △○□があると、その型の意図を見出すのにとても役に立つ。 △○□を使った型への取り組み方法 体術の場合、 1.剛で型の形をなぞっていく 剛では型の形の通りに行うことは不可能。 限りなく型に近づけて、 最終的には、△○□の発生を身体の動きから臍下丹田の意識に置き換える。 2.柔で型の形通りに△○□を発生させる。 柔の場合、型=形のときに△○□が発生できるようになっている。 柔では、厳密に型の形になったときに△○□が発生する。 剛のときとは逆。 逆に型のとおりにしたとき、柔で△○□が成立するならば、 この型は柔(武器術)が由来とわかる。 3.流では型の中に組み込んでいく。 流は形によらないので自由に型に組み込める。 型の形に合わせて流を組み込めるかどうか、 型に合わせて自在に組み込めるならば上達している。 型の形通りにできるようにすることが、流の習熟度になる。 その型の形から離れているので(守破離の離)型の形通りにできる。

隙の最小化

  剛・柔・流をバランスよく使うと、隙を最小化することができるのでは? 理由を考える。 剛・柔・流はそれぞれ 剛 後の先 柔 対の先 流 先の先 と対応する。 ここで、 第一文字の「後」・「対」・「先」は時間を指す 第三文字の「先」は三元の「□」をつくり、一体化する(技をかける)ことを指す と解釈すると、 第一文字の時間は、 「後」 過去  「対」 現在 「先」 未来 と対応する。 よって、剛・柔・流がそろっているとその時間軸に合わせることができ、隙が最小となる。 ただ、意識は1箇所にしか置けないため、一瞬一瞬は剛・柔・流のどれかのみとなる。

評価方法

  結果は「心技体」の「体」であり結実した「有」 「有」は感覚で捉えられるものであり客観的に認識できるもの。 「心」→「技」を経て結果である「体」となる 結果は、下記2段で評価している。 1.△○□ 2.かけた形と型の差 下記順で検証する。 1.△○□をどのように発生させたか 2.かけた形と型との差異をみて型の主旨としているお題をこなせたのか 3.この型を実現するさらに上の方法があるのか。

剛・柔・流の時間軸

剛・柔・流によって技を施す時間軸が異なる 目に見える視覚を基準とすると、 剛:相手が来て接触してから 後の先 柔:相手が来た瞬間の非接触の時点で 対の先 流:相手が来る前、非接触の時点で 先の先

実践と型稽古の違い

実践と型稽古は明確に異なる。 型稽古は実践ではない。 実践では、 △○□を剛・柔・流のいずれかで作れていれば、技はかかっているので良し。 実践に形の評価は必要ない。 しかし、型稽古では、△○□と形=型の両立を求められる。 型稽古がうまくできていない状態は主に下記2通りある。 1.△○□ができていても、形≠型であれば型のお題を消化できていない。 理由は、 型はお題ごとに難易度が設定されており、 その難易度を超えているかどうかでその成熟度を測り、 次の課題にいけるかどうかを設定してあるため。 形を大きく崩して△○□ができたとしても、型のお題を消化できていないので上達しない。 2.形=型ができていても、△○□がないなら技がかかっていない。 理由は、 技(剛・柔・流)が抜けている。 技をかけるというのは、心技体(原因>方法>結果)の流れが必須。 以上。 また、 型稽古を実践のようにするとどうなるのか? 形が崩れるので、型で設定してあるお題を消化できず上達しなくなる。 よって、 型稽古を実践のようにする意味がないことがわかる。 型稽古は実践ではない。 △○□を実践で使えるように少しずつ導いていき、 お題を消化していくことで上達するようにできている。 逆に実践のような型もある。 それは怪我しない範囲で形を崩せる型となっている。 例えば、中国拳法の推手 これは、安全に △○□を剛・柔・流のいずれかで作れるかを確認できる。 どこまで稽古が進められているのかを確認できる良い方法。

原理を定義する

原理とは、 全ての現象に内在しているもの 合気道の基本原理は、 「一霊四魂三元八力」 であり、これは人の存在意義と働きの指針の両方を与えている。 「△○□」は「三元」にあたり、働きによって起こる唯一の変化を説明している。

評価に△○□がない場合

  剛・柔・流 の五感の媒体は、 剛:触覚 柔:視覚 流:聴覚 評価に△○□がない場合は下記のように型を設定されている。 剛を型で習得させるためには、 型として身体に負荷のかかる形を設定する。 例えば、太極拳、沖縄空手の型がわかりやすい。 その負荷をかける型を楽にこなせるとき、意識に臍下丹田が芽生えている。 腰を落として素振り千回ふるのも同様の効果。 柔は視覚を媒体とするので、形=型となるように稽古する。 例えば、武器術の組稽古 流を型で習得させるには、 触覚と視覚の制限を型に設定する。 例えば、 居合では、 人を前に立たせない(視覚を抑える)、同じことの繰り返し(触覚一定) により、聴覚に誘導している。 座禅では、 親指の一点(触覚の固定)、視点をろうそくの一点(視覚の固定) により、聴覚に誘導している。 このように型稽古は、 形だけでも結果の評価していくことでもできるようになっている優れた方法である。 さらに、結果の評価に△○□を加えることで、 型稽古の型数と工数を削減させ、精度・抽象度が向上する。